仕事の原動力って何なのか

思ふこと

先日、富士山の麓まで行ってきました。とても良い秋晴れの日で裾野まで見えて、何か今後良いことがあれば良いな、と思った今日この頃です。

12月、師走に入りましたね。最近、私は本当に在宅勤務で朝8時半から夜8時半まで働くような毎日で、心身ともにだいぶやつれてきています・・。
というのも、あまり具体的には言えないのですが、以前もお話ししました通り、私は海外向けの研修をする部署で働いていますが、コロナの影響を受け、すべての研修がオンラインに置き換わりました。割とオンライン研修への対応が早く、おかげさまで多くの研修を委託され、企画・運営をしています。
2021年度下半期にある案件の大量受注をすることが決定しました。その案件の量を見ると、今の人員体制では明らかに対応できる量ではなく、業務過多になり得るのは予想が付きました。
しかし、上層部は、その研修が始まる1か月前に2名派遣社員を入れただけで、他には何も対応してくれませんでした。
研修というのは、遅くとも3か月、早ければ半年前位に企画を始め、講義の準備や調整などを行うので、1か月前に人員を増やす、というのは、全く持ってお門違いで、むしろ新しい人が入ることにより、業務を教えたりすることにパワーを持っていかれることになり、むしろ負荷なのです。そんなこともわからない管理職の様子にいてもたってもいられず、当時私は担当している機関にオンライン研修についてのプロポーザル(提案書)を提出・調整していましたが、なんとかお断りを入れ、大量案件の方に関わらせてもらうように、管理職に打診をしました。
直前に、その大量案件全体を見る担当になっている同僚の疲弊している様子を見たのもあり、このままでは受注した案件が倒れてしまう危険性を感じました。
(普段は、全く愚痴も言わないまじめで、明るい彼女が、様々な直面している問題に苦しめられている話・愚痴がとめどなく出てくるのをみて、「これは、相当深刻だ…」と肌で感じました)

その対応が今色々とあり、しかも、上記の案件のほかに同時進行で主担当のオンライン研修があったり、直近の別の研修では、研修終了後に主担当の方が体調を崩されて、一切仕事に出られなくなったので、その後処理とか…もう体がいくつあっても足りません。

そんな感じで無我夢中で対応しているのですが、私の上司はちょっと空気の読めない人で、悪気はないのですが、「今の経験が未来につながると良いですね!」なんてのんきなことを言っていて、一気に信頼をなくしました。
私が入らなければ、途中で倒れていたかもしれない案件で、死ぬほど仕事を頑張っている人に対して、そんな呑気なことを良く言えるな、と遺憾でした。

最初、私がこの案件に途中からでも入らなくてはと思ったのは、もちろん自分の部署のためもありますが、一所懸命に働いている同僚がSOSを求めていたからでした。なんとか彼女が疲労困憊で倒れてしまう前に支援に入らなくてはと思ったのです。
それなのに、上司がこんな調子では、今後もこの部署、この会社で働き続けるのは果たして正解なのかと疑問にまで思ってしまいました。

忙しく仕事をしているとしても、何のためにその仕事をしているか、気持ちの持ちようが違うことによって、その仕事への見方・貢献しようと思う心の傾きは大きく変わる。
その仕事が少しずつ進むことで、なんとか貢献していると思えるかもしれないが、それだけでは、心も体もだんだんと弱っていってしまう。
そこに、人と人との信頼関係の構築、一緒に頑張っている仲間、上司への信頼関係があった上で、「この人たちを助けるために自分も頑張りたい」という心を持てることでだいぶ仕事の見え方・貢献しようと思う心の傾きが変わってくる。

もちろんいろんな尺度で仕事に対しての心の持ちようがあると思いますが、
私は、「一緒に働く信頼している人と楽しく仕事がしたい。その人が困っているのであれば、できるだけ支えられる人になりたい」というのが、私の仕事を頑張れるモチベーションだと、この件をもって、強く認識することができました。

まだまだ忙しい日々は続くのですが…頑張ります。
それでは!

みーちゃん

思ふこと
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