異文化理解について考える

思ふこと

今回は、この本を読み、より一層異文化理解への理解を深めつつ、自分の中での考えを見つめなおす機会にもなりました。
「異文化理解力」 相手と自分の真意がわかる ビジネスパーソン必須の教養
エリンメイヤー 英治出版

どこかの国の真似をして、自分の国で活用しようとするとうまくいかない。
うまくいかないからといって、その分野か方法がダメなわけでは無い。
その土地その土地でのやり方があるということを理解したうえで、コミュニケーションも自分の文化だけで視野を狭くせずに、さまざまなコミュニケーションの仕方があると理解したうえでないと、異文化理解をすることは難しいのだと、この本で学ぶことができました。

今は中東の方々と話すことが多いので、なんとか中東の性格を理解したいと思っていますが、なかなか日本的な考えから抜け出せない私は、この本を読んでもっと広い視野にならないと、と反省しました。
とても面白い本なので、ぜひじっくり読んで欲しいです。

原理優先の文化と応用優先の文化。

アメリカは特に顕著な応用文化で、原理の前にケーズスタディやいきなり応用から入る。一方ドイツやフランスなどはまずその結論に至る前までの分析や背景を説明する。
イギリスは応用優先寄り。日本も多分にアメリカの影響を受けているので、プレゼンテーションなどをするときはことさらに応用優先になりがちだと考える。

「ロンドンやニューヨークの向けてプレゼンテーションを行う?本題から入り話を逸らさないようにしよう。フランス人、スペイン人、あるいはドイツ人にプレゼンテーションを行う?各要素の説明に時間を割き、結論を語る前に背景を説明しよう」p131

今の日本人の若者は指示待ち人間か?

今の日本人の若者は指示待ち人間だと言われることが多いかもしれない。しかし言われたことしかやらないということではなく、リーダーや上司がきちんとした指示を与えれば非常に意欲的に仕事に励むような気がする。
ヨーロッパでも権力の格差が大きく、階層的な社会になっている国もある。それらの多くはローマ帝国に支配されていた国々に多くみられるようだった。
日本や韓国などの国は中国の儒教の影響が強い
たとえ一つしか年が違わないとしても、年齢が上の者を目上の人間として敬意を払わないといけない。
ビジネスでコミュニケーションする際は、権威の順序を飛ばしてはいけない、ミーティングの際は上司の意見に配慮して発言をするなど、もちろん平等的主義の方が意見が活発になり、良い方向に向かう可能性が高いとは思うのだが、なんとなく、その壁を壊して越えることができない。
なんとも日本人的な考え方が体に染み付いてしまっているのだ、と感じる時でもあった。
しかし、異文化の中に属して多様な人々と働いていくリーダーは、
階層的な文化にも、平等的な文化にも臨機応変に対応できるよう、両方のタイプを演じる技術を取得しなくてはならないようだ。

信頼はどのように築かれるか

タスクベースと関係ベースという二つの信頼の仕方がある。人との関係をビジネス的な視点で見て、はっきりと自分の中でビジネスとプライベートを分けるのがタスクベース型(イメージとしてはアメリカン人がわかりやすい)、人間関係がうまくいっていないと契約までもこぎつけられず、人間関係が構築できていない関係ではその人を信用できないという関係ベース型(イメージはラテンアメリカだろうか)
この中で日本は関係ベース型と分類されている。契約書にサインすれば全て完了、ではなく、その前のよくドラマであるような懐石料理のお店で関係づくりをするような、そんな感じが日本の関係ベースとして考えられるのかもしれない(なんか違う?)
基本的に関係ベースが大事な国というのは、司法機能がきちんと働いていなかったりして、契約書にサインしたからといって全てきっちり守るとは限らない可能性があるため、その人自身を信頼できるか、というのがとても大きなポイントになるのだという。
私個人的な意見だが、なんとなく、あまり知り合って間もないビジネスパーソンと食事に行ったとしても、なんとなくビジネスの関係を忘れてはいけないと思って緊張し、ボロを出さないようにしないといけないという気持ちになり、結局あまり楽しむことができない。
会食に誘うというのはなんとなくこちらの情報を聞き出したい、というようなそんな思惑に元に誘われているのだと思ってしまっていた。でもこれは違ったのかもしれない(?)
他の日本人の方がどのように考えるのか、非常に興味のあるトピックだと感じた。

中東も関係ベースに分類できるような気がする。まず、人間関係が出来上がっていない状態で、ビジネスライクで仕事を進めることは多くのアラブ人たちの中では受け入れ難いことなのではないかと思ってしまう。

何かがぶつかるときは、文化背景をよく知ることが大事

もちろん、人によって全てのことが文化背景によって理解することができるわけではないけれど、少なくとも、何か意見の違いや相手と自分の間に壁を感じる、なんで伝わらないのか、なぜわかってくれないのか、と感じる時は、文化背景をしっかりと自分自身も知って、受け入れなければならないと感じた。

おわりに・・・

知ったからといって、全てを受け入れられるようにすぐに変われるわけではないが、少しずつ、こうやって学ぶことによって、世界のさまざまな考え方をする人たちのことをもって知っていきたいと思った。

みーちゃん

思ふこと
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